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コラム

顔が見えない中でのコミュニケーション(その1)

     

さて、ある週末の早朝。

チームひだまりメンバー4名で、対話をしています。

今回はWakaからこんな話題が出ました。

 

Waka:うちの会社も在宅勤務の人を交えてのオンラインのミーティングが増えてきたんですよ。

普段はPC上で画像をオンにして、リモート側の人も顔が見えるようにしているのですが、時々ネット環境が不安定で、「画像オフにしますね~」と言って顔が見えない状態になる時があるんです。

そうすると、リアルに同じ場にいる人、リモートだけど顔が見えている人、リモートで顔が見えていない人が混在で打ち合わせすることになって、普段お互い表情をみて相槌を打ちながら打ち合わせをすることに慣れているから、なんだか顔が見えないとどんな反応しているのか不安になって落ち着かなくて。

顔がみえていなくてもちゃんと全員お互いつながっている実感があるミーティングにするのはどうしたらいいのだろうか、と思います。

 

とうりょう:確かに大勢の顔が見えて、一人だけ顔がみえないとその人の存在を忘れたりしますよね。

 

カーナ:今の話を聞いていて思い出したのですが、以前傾聴のワークに参加した際に、ある方で目を閉じながら聴く方がいて。

傾聴ワークの時も目を閉じて聴いているので、「この人は相手の表情などを見ずにどこから非言語の情報を得ているんだろう」って気になったんですよね。

それで訊いてみたら、「声色に集中して聴いている。」と。

一方、その方に話を聞いてもらっている側の人に聞くと、「顔をみてもらっていないけど、ちゃんと聞いてもらえているのかな」という違和感・不安があったと。

今のWakaさんの話の顔が見えない人も同じような状況なのかなと思いました。

 

とうりょう:2007年頃私がコーチングの資格を取った頃は、まだコーチングはスカイプなど音声のみでやるもので、最初から見えないものだとわかっているから

見えないことに対する不満はなくて、特に支障はありませんでした。すごく聴いてもらっている感もあったし。

 

それに慣れているからかもしれませんが、以前別の人と対話をするときは、私はいつも画面をオフにしていました。それは目を閉じて話したり聴いたりしながら内省する、ということもあったのかもしれないですね。

もちろんその時も相槌は声に出してしていましたが。

自分の体験からすると、顔を出しているときと、顔を出さずに自分の内側に思いを向けているときと、使い分けているように思います。

 

Waka:例えば背景の画像も消してしまうと、ZOOMの場合真っ暗な背景にただ名前だけが表示されている状態になりますね。

私もこの間この状態で参加したのですが、これだと相手の人も話を振るタイミングが難しいのではと感じました。

 

とうりょう:ほかの人たちは顔が見えているわけだから、なんだか自分だけが別の次元にいるように感じるかもしれませんね。

でも人によっては必ず顔の画像を出さない人もいますね。

 

縁楽:会社だと資料共有している時間が多いこともあって、わりと皆さん画像オフにして参加していることもありますね。

同じものを見ながら話しているからそんなに違和感はないのですが、確かに何もないと何を話しているのかわからなくなってしまいそうな気もします。

 

カーナ:先ほどとうりょうがおっしゃっていたように、みんなが電話で話していると思えば気にならないように思います。やはり自分だけが見えないとなると寂しいですね。

 

Waka:もし先生が生徒に講義する、というようなケースなら、割り切ってとうとうと話しかけられると思うのですけど。

特にリアルに一緒にいる人と、リモートで顔が見えない人が混在していると、つい、一緒にいる人同士で内輪で話してしまうこともありますね。

 

とうりょう:確かに混在は難しいですね。どこに意識を合わせるか。

もし全部画像が閉じていると、相手が見えなくても相手がそこにいてくれて、聴いてくれていると信じて話していますね。

画面があるとその「信じる」という意識は必要なくなりますね。

それで画面からいなくなると「いないじゃないか」って不信感が出てしまう。

一人でも画面が出ていない人がいるならば、その人に意識を合わせて、顔がみえなくてもそこにいてくれて聴いてくれていると信じることが大切かもしれません。

 

カーナ:先ほどの「違う次元にいるようだ」ということで言うと、顔の見えている人見えていない人で、意識の使い方が違って、違う次元同士で会話しようとしてストレスがたまるように思います。

 

とうりょう:明らかにみんなの顔が見えている時の意識と、見えていない時の意識は違いますね。

逆に自分だけが見られていなくて、でも自分からはみんなが見えているとリラックスできるなあ、と感じます。

ファシリ塾でいうと、塾生のサークルの外側にて、見守っている感じでしょうか。

 

縁楽:画像をオフにして、サークルの外側にいくと、自分からの発信をやめるという感じがします。

誰かが画像をオフにして反応がないと、PCの向こうではうなづいているのかもしれないけれど、わからなくて不安になりますね。

そういえば昔のラジオ番組で、リスナーを意識せずに自分のペースで話す俳優さんがいたんです。

けっこう話す間が空いたりして。そうするとちょっと不安になっていたんですよね。

やっぱりラジオの向こう側に誰かがいて聴いている、と思って話すのと、自分の世界で話すのでは違うと思います。

 

Waka:自分の意識を見えない人に向けて、ちゃんと聞いてくれていると信じて話す、ということでしょうか。

顔が見える人の意識のままでいると、見えない人がいるとざわざわする。

電話のように向こうでうんうん、とうなづきながら聴いてくれていると思いながら話すとざわざわしないのかもしれません。

 


 

顔が見えないコミュニケーションでは、

どういう意識をすればいいのか・・・

この続きは次回に。

 

waka 記

 

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