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コラム

陰も陽もすべてに意味がある

     

ファシリテーション塾で学ぶ仲間3名と、塾長のとうりょうによるチーム「ひだまり」のメンバーで、日々の体験や気づきを語り合う朝の対話の時間「対話の縁側」です。

今朝は、とうりょうの肩に乗っていたインコのピーター君も一緒にチェックインしてくれて、ほのぼのとした空気の中、対話が始まりました。

※写真はピーター君ではなく、イメージ図です。

 


 

カーナ:先日のファシリテーション塾では、縁楽さんは仕事の会議の後ファシリ塾のzoomに入ってこられて、なんだかほっとしたような雰囲気を感じましたよ。

 

縁楽:そうですね。仕事の会議の方はなんだか殺伐とした雰囲気で、一方その後に参加したファシリテーション塾の方は安心安全な場で、同じオンラインの場でも全く違う雰囲気で対象的でした。

 

とうりょう:「殺伐」というのは、具体的にはどんな風に殺伐としているのですか?

 

縁楽:例えば何か企画やアイディアを出しても、悉く否定され、怒られてしまうのです。

だんだん参加者も、よりよいアイディアよりも怒られないことに意識が向くようになってしまい、上の人の意見に無理やり合わせていくようになってきてしまっているのです。

本来はよりお客様視点でアイディアを出す場なのですが・・・。

 

とうりょう:それは参加者一人一人の「志」を試されている場、とも言えるのかもしれませんね。

聞いていて、「辛丑」の今年にも通じるところがあるように感じました。

何かを終わらせて新しいことを始める痛みを伴うということです。

何かが芽吹く前の一番暗い時間をとらえるには高い志が必要です。

 

痛みはその志を実現するのに必要なものであると受け止めることができますね。

痛みを感じた時に私たちはとかく反応的になり、それを他人のせいにしがちです。

 

そうすると人としての体力がおちてきて、腰が抜けた状態になり、人を批判したり、人から批判されないようにして生きていくようになってしまうのですね。

そうではなく起きていることはすべて自分のためであると思えば、

腰を据えて覚悟を持って生きていくことができるのです。

 

カーナ:確かに野菜などの植物も温室育ちのものより、厳しい環境に置く方がより栄養価の高いものができたりしますね。

人間も厳しい環境にいることで進化していくのかもしれません。

ファシリテーション塾の講師認定コースに入った時も、それまでよりも厳しく高いものを目指すことで成長できたように思います。

厳しい環境というのは「今は変化する時ですよ。」と宇宙に言われているような気がしました。

 

とうりょう:厳しい時だからこそわかる、救いや出会いがありますよね。

陰も陽もすべてに意味があるということを私たちは知っています。

つらいと感じることがあった時に、それを被害者として受け取るのか、意味あるものとして受け取るのか、で人生は大きく変わってくるのでしょう。

今の自分を作るのに何ひとつ無駄なものはないのです。

 

Waka:そういえば私自身も以前仕事の場で、非常に厳しい言い方でダメ出しをされたことがあり、その時はとても心外で憤慨していたことを思い出しました。

「こんな言い方をするなんてひどい。」と被害者モードになっていました。

でも今のとうりょうのお話をきいていて、その時の自分に高い志がなかったからこそそれを見透かされたのだと、今なら心からそう思えます。

 

とうりょう:反応的になると、自分の意に沿わないことに対して被害者になりがちですよね。

その人のやり方に対して、被害者として憤るのか、天から与えられた機会としてとらえるのか、その後が大きく変わってきますね。

 

カーナ:今のとうりょうのお話をきいて、そういえば人とのご縁もそうだなあ、と思いました。どの人との出会いもすべて今の自分につながっているなあと改めて思います。

 

縁楽:先ほどの「今の自分を作るのに何一つ無駄なものはない。」という言葉には本当に勇気をもらえます。

何か困難だと思うことがあった時に、咄嗟にそう思えるようになれればと思います。

 

カーナ:なかなか咄嗟に思うことは難しいことだからこそ、毎朝毎晩思うといいかもしれませんね。

 

Waka:確かに自分にとって大切なことを、言葉として自分の心の中に持っておくのはよいですよね。

私もいつかこの対話の縁側の中で出た「宇宙が総がかりで自分を応援してくれている」という言葉を、いつも心の中に持っています。

そうすることで、仕事などで厳しい状況に向かう時も、この状況で自分は成長できるのだと思うことができ、一歩を踏み出すことができています。

 

とうりょう:人間は信じるものを持つと、たくましく、柔らかく生きていくことができますね。親鸞の言葉で「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり。」というものがあります。

人はどうしても反応的になりがちですが、よくよく思い返していれば、起こることすべてが自分自身の人生に意味があるのですね。

このように信じるものを感じ取る、この感覚を呼び覚ましていくことがますます大切な時代になってきているのでしょう。

 


 

「陰も陽もすべてに意味がある」。

このように受け止めることで自分の人生をしっかり踏み出していくことができるように思います。

一歩一歩、歩みを進めていこうと改めて思った今朝の対話でした。

 

waka 記

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