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コラム

明るさ

 

ファシリテーション塾で学ぶ仲間3名と、

塾長のとうりょうによるチーム「ひだまり」のメンバーで、

日々の体験や気づきを語り合う朝の対話の時間「対話の縁側」。

 

今日は今期のファシリテーション塾の大テーマでもある「明るさ」がテーマです。

 


 

縁楽:引き続き、コロナの状況の中、2年目も我慢の日々が続きますね。

なんとなく世の中全体が楽しんではいけない、

という自粛ムードになっているようにも思います。

そして不平不満もあふれていますね。

 

 

とうりょう:この状況は誰が悪いわけでもないので、

どうしても不平不満や愚痴が出ますよね。

ワクチンはどうなっているんだ、この飲食店の営業自粛はいつまで続くんだ、、

など、だれも明確な答えを持っていないですよね。

誰も自分の責任でこの状況を招いたと思っていないですから、どうしても他責になります。

まさにそれが暗さの本質をあぶりだしているように思います。

暗さの本質とは、打算的、利己的、性悪説、他責・依存といったことが挙げられますね。

 

 

カーナ:こういう話をしているとどんどん気持ちが暗くなっていくような気がします。

 

 

とうりょう:そうですよね。

気持ちが明るくなった時のことを思い出すとヒントがあるかもしれませんね。

 

Waka:最近自分の気持ちが明るくなった時のことを思い出すと、

しばらく会えていない友達が自分の書いたSNSの投稿を読んで

「応援するよ!」というメッセージをくれた時、

離れていても自分の心に寄り添ってくれているように感じ、

とてもうれしく思いました。

 

 

とうりょう:そういうお話を聞いているだけで心が温かくなりますね。

 

 

カーナ:明るくふるまうことがいけないような空気がある中でも

明るくふるまっている人と一緒にいると、自分の気持ちも明るくなります。

私の属しているコミュニティの人たちは、明るい音楽をかけてみんなで歌ったり、

オンライン越しにも明るいエネルギーが伝わってくるのを感じます。

「最高最善のことが起こっているから、何があっても大丈夫」と信じているのです。

 

 

とうりょう:それは正に、明るさの本質である信念や性善説につながりますね。

「サピエンス前史」の話を思い出したのですが、

決して体の大きくないホモ・サピエンスが種族間の争いを生き延びたのは

「認知革命」があったからだと言われています。

「認知革命」とは目に見えないもの、

たとえばチーム、愛、正義といったものを信じることができる能力を持ったということです。

信ずるものを持ったことで、集団行動を可能にして、ここまで生き延びてきているそうです。

 

 

Waka:在宅勤務の中で気づけた幸せがあります。

それは庭をみる機会が増えたことです。

花が咲いた、芽が出た、つぼみが膨らんだ、と

子供の成長を見守るような気持ちで見守る喜びは以前より深く感じるようになりました。

それはこの状況だからこそ気づけたことだと感じています。

 

 

とうりょう:それは環境の中で自分の幸せをみつけようという、

自分の選択でもありますね。その幸せを感じられる自分がいる、

ということで明るくなりますよね。

そう考えると「どんな自分でいられるか」ということが大切になりますね。

 

仏教の言葉で「解信行」というものがあります。

人生の中ではやりたくないことでもやらなければいけないことがありますね。

そこにどんな意味があるのだろうと考えることで、人生の問いが立てられるのです。

そしてその答えを考えていく中では、

自分が「何を信じるか」がとても重要であり、

その信じるもので自分の行動が決まってくるということです。

その時自分の信じるものがその人にとっての「師」となります。

 

カーナのコミュニティの人達、Wakaさんに声をかけてくれた友達や、花、

そういった人や物がすべてその人にとっての「師」となるのです。

そしてそれをどう解釈していくかで自分の行動が決まっていくわけです。

何かを信じている時、人は明るさを感じますよね。

だとすれば、信じるものを見つけていくことが明るさのポイントなのだろうなあと

皆さんのお話をきいていて思いました。

 

 

カーナ:とうりょうにとっての「師」はだれですか?

 

 

とうりょう:それを自分に問いかけてみたのです。

自分の誕生日の時に、多くの人が祝ってくれ、感謝してくれ、応援してくれたのです。

こんな自分のために、と思うと、それはまさに私にとって奇蹟でした。

これは私が過去に何かをしたからではなく、

未来に何かをするからこれだけの人が支えてくれているのだ、

と考え、自分の行動に転化しています。

そう考えると特定の誰かではなく、

周りの人みんなが自分にとっての「師」だということに気づいたのです。

人だけでなく、自然もあまねくすべてのものが

自分にとって「師」なのだと思うと、とても気持ちが楽になりました。

 

明るいとか暗いとか、

それはすべて人間の主観が作り出した解釈でしかありません。

今ある環境の中で如何に明るい見方をすることができるか、

それが「覚悟」の「悟」になるのです。

自分が何を信じどう解釈して行動につなげるか、

それが人を明るくも暗くもするのです。

 

 

カーナ:今のように世の中に暗いエネルギーが満ちていると、

自分が明るくいようと思っても

そのエネルギーを吸い取られるように感じることがあります。

なので自分はできるだけ明るい場にいたいと感じています。

 

 

とうりょう:まさにだからこそ、環境の影響を受けやすい私たちには、

明るくあたたかい場が必要なのですね。

この変化の激しい時代の中で、

我々自身がそういう場を作っていこうとすることが大切です。

 

「逝きし世の面影」という本の中で、

江戸時代の人々が貧しいのに明るく幸せであるのを見て、

外国人が「ここはパラダイスだ」と驚いたという話が書かれています。

現代の、物はあるのに暗く不幸せになってる私たちにとって

今のこの不便さは、もしかするとかつての我々が持っていた。

物がなくても明るく居られるDNAを呼び起こすチャンスともいえるのかもしれませんね。

 

 

カーナ:そう思うと、先ほどのWakaさんにとっての花のように、

人の決めた基準ではなく、自分が心から幸せだと思えるものを持っていると、

人と比較しても揺るがないだろうなあと感じました。

 

 

とうりょう:そのためにも自分の素朴な愛や尊敬を探す生き方ができるとよいですね。

 

Waka:そしてその愛や尊敬の気持ちを受け取ってくれる仲間がいると

さらに幸せが広がりますね。

 

 

縁楽:そういう幸せな世界にいきたいと思いながら、

平日はそうではない世界に向かって飛び込んでいっている自分がいます。

 

 

とうりょう:我々は明るくない世界を知っているからこそ、

明るい世界の明るさがわかるのですよね。

これが「お蔭さま」ということです。

その中で生きていくということが自分の行動を決めていくことにつながるのです。

 


 

この対話を始めた時はどんどん暗い方に気持ちが向かっていたのですが、

1時間の対話が終わるころには温かい幸せな気持ちに満ちていました。

暗さを存分に感じたからこそ明るさを感じることができる、

それを感じて行動につなげるのはいつも自分自身なのだ、

という勇気をもらったように感じた今回の対話の縁側でした。

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