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コラム

ゆたかな「ひとり」の時代

ファシリテーション塾で学ぶ仲間3名と、塾長のとうりょうによるチーム「ひだまり」のメンバーで、日々の体験や気づきを語り合う朝の対話の時間「対話の縁側」です。

 


 

Waka:先日、あるセミナーに参加しました。そこで「まずあり方が大切」というお話があり、これまでファシリテーション塾でも学んできた、「Be→Do→Have」の話を思い返していました。

 

縁楽:私自身の体験で言うと、主体的なあり方よりも、ぶつぶつ文句を言いながらでも、受動的に従う方が楽になってしまっている自覚があります。

 

Waka:今のお話を聞いて、ふと以前の会社での会議のことを思い出しました。

「会社としての方針はどうなのですか?」「会社として判断してください。」というような発言がメンバーから出た際です。

リーダーが「では『会社』とは誰なのですか?あなた達自身ではないのですか?」と言ったところで、ハッとしました。

『会社』という誰かが何かを決めてくれるのではなく、そこにいるひとりひとりが思いや覚悟を持ち、行動することが大切なのだ、と考えさせられたからです。

 

とうりょう:私にも覚えがあります。会社員は必ずどこかの組織に所属しているので、個として考えたり動いたりすることが意外と難しい気がしますね。

 

Waka:確かにそうかもしれません。自分の思いや覚悟を持つ前に、人と比較して一喜一憂してしまいますからね。

 

縁楽:人とくらべる前に、自分で自分のことがわからず、他者からの指摘で気づく場合も多いですよね。

 

とうりょう:他者を通じて自分が浮き彫りになることは大きな宝でしょうね。だからこそ他者とのつながりが大切なのですね。他者評価に依存してしまう場合もあるわけですが。

 

カーナ:「他者の目を通じて自分が浮き彫りになる」ということと、「他者の評価軸で生きる」ということは別物ですよね。

 

とうりょう:そうですね。他者を通して自分を知りながらも、他者からの評価には「だからと言って、自分は自分」と思えることは大切ですね。

 

カーナ:例えば人によっては、会社における他者からの評価と、ファシリ塾のようなサードプレイスでの他者からの評価が全然違う、ということもあり得ますよね?

その人にとって、自分を受け入れてくれる場があれば、それ以外のところでの評価は気にせずにやっていけるのではないでしょうか。

そう思うと、様々な場での様々な他者からの認知が、その人をより立体的に見せてくれるように感じます。

 

とうりょう:人をより立体的に浮き彫りにしてくれる、というのはいいですね。周囲の存在によって、自分というわからないものが徐々にわかり始める、というのが。

 

カーナ:私の知り合いで、学校ではあまり場に馴染めなかったのですが、別のお稽古事の場では周りに受け入れられ生き生きとしているお子さんがいました。

そのお子さんにとってはそのお稽古事の場があって本当に救われたと言っていたと、後から聞きました。

お稽古事の場では、みんなが「ひとりの友達」としてそのお子さんと接していたのです。

きっと学校での姿とは全然別の姿だったのではないかと思います。

それって、大人も子どももおなじだなあ、と強く感じます。

 

とうりょう:「ひとりの友達」として、ですか。。。「ひとり」っていい言葉ですよね。

万葉集の中に柿本人麻呂の「足引きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」という歌がありますが、この歌からも大自然の中のひとりの豊かさ、寂しさを超えた実体感を感じませんか?

カーナのお知り合いも、寂しさを知っているからこそ、別の場でひとりの友達として接してもらった時に、そのすばらしさ、豊かさを感じたのではないかと思います。

我々の社会は、会社でも学校でも、人と比較する癖がついてしまっていますよね。

なんでも比較してしまうので、この世は不平等なことに気づいてしまう、そしてそれに不満や嫉妬を感じるようになりますね。

現代社会は嫉妬社会でもあるわけです。

 

Waka:とうりょうのおっしゃる「ひとりの豊かさ」というのは、ここまで生きてきて、今になってみてようやくわかるようになった気がします。

「孤立」しているのとはちがう「ひとり」、だれかとつながることもできるけれど、今は「ひとり」を選んでいる、そういう時「ひとり」でいることを豊かだと感じられるなあ、と思います。

 

とうりょう:そうですね、今はみんな独りぼっちになることを非常に嫌がりますよね。どこかつながっている感覚が欲しいですよね。

 

カーナ:「つながっている感覚」が、2020年の春ごろから、少しずつ変化してきているようにも思います。以前は、「会えないのが寂しい」、と言っていたのが、だんだん「オンラインでもつながれる」という感覚に変わってきました。

きっとこれからも変わっていくような気がします。

 

とうりょう:そういえば2020年にファシリテーション塾オンラインコースを立ち上げた頃は、「会っていなくても家族以上に」ということをよく言っていました。

その裏には私自身の途方もない会えない寂しさがあったのだと思います。

気負いや焦りもあったように思います。

今はいつのまにかそのような力みは取れてきています。

「使えるツールを使えばいい」という気楽さでしょうか。

人は常に変わっていきますし、その変化が成長でもありますね。

そこを認めることが自己肯定感につながるという話を思い出しました。

 

カーナ:今のお話をきいて、「他者の評価」への依存よりも自己肯定感を上げる大切さに気付きました。

そのためには、自分の目指す姿、ゴールを持ち、一歩でも近づいた自分を認めてあげることだということです。

会社と違って人生はゴールが見えにくいので、しっかり目指す姿を決め、そこへ向かって一歩一歩進んでいくことが大切なのでしょう。

 

とうりょう:我々は未来のために今を生きているので、未来のゴールを設定しないと「今」が活きてこないのですよね。

ただの「問題解決」になってしまうのです。だからこそ、人の決めたゴールではなく、ひとりひとりが自分自身で決めたゴールを持っていることが大切になりますね。

ちょっと話がそれますが、アメリカのゲームストップ株の高騰も、機関投資家ではなく、個人個人の行動の結果なのだそうです。これまでの時代では考えられないことですよね。

ひとりひとりの行動が世の中を動かす時代になってきているのです。

 

カーナ:最近のClubhouseにも同じような流れを感じます。自然発生的に面白いことがどんどん立ち上がって、リスナーが柔軟にスピーカーになったりしています。

学校でも個人が学びたいことを出し、それに合ったカリキュラムを提供してくれるところもあるのですよね。

 

とうりょう:そう思うとこれまでのやり方、「マス」にただ従っていくやり方ではやっていけなくなりますね。我々はこれまでひとりの楽しさを忘れていたのかもしれません。

 

カーナ:それは「ひとり」を楽しむ時代でもあるし、自分の力をつけないと生きていけない時代ともいえますね。

 

とうりょう:そうですね。楽ではない時代になってきているのでしょう。自分の道を決め、自分の価値観を生きる覚悟が必要になりますね。

 

Waka:まさに最初の会社の話のように、「会社」というものが決めてくれたことにただついていくのではなく、自分の道を自分で歩んでいく時代、ということですね。

 

とうりょう:今この時代、この社会では、改めてひとりひとりに戻り、自分の価値観で自分を道を歩むことが大切になってきますね。

 


 

「ひとりの豊かさ」とは、自分の軸を持ち自分の作ったゴールに向かって歩んでいく中で、人とのつながりも知っているからこそ、鮮明に感じられるものだと思いました。しなやかに、でもしっかりと、自分の道を歩いていこうと思います。

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