本気とは
ファシリテーション塾で学ぶ仲間3名と、
塾長のとうりょうによるチーム「ひだまり」のメンバーで、
日々の体験や気づきを語り合う朝の対話の時間「対話の縁側」。
この日は初のFacebook Liveにも挑戦です。
休日の朝のひとときを共に過ごしてくださった皆様、
ありがとうございました。
※Facebook Liveは、ファシリテーション塾修了生の
Facebookグループコミュニティ限定で公開いたしました。
Waka:新年度が始まりましたね!
いつもと違って、キックオフミーティングなどが
今年はすべてオンラインで実施されました。
そのせいか、どうも自分自身にまだエンジンがかからず
周囲にも影響している気がします。
なのでまず、自分自身がフレッシュな気持ちになりたい!
自分の気持ちを盛り上げたい!というところにいます。
とうりょう:そうですよね。
4月ですから、みんなで勢いをつけて盛り上げていきたいのに、
なかなか今の状況では集まってのイベント開催は
むずかしいですしね。
この盛り上がる、にも
「テンション」と「モチベーション」の
2種類があって、「テンション」のほうは一過性のもので、
イベントをやったり動画をみたりして、
わーっと盛り上がるものですね。
それに対して、「モチベーション」のほうは
もっと長期的なものになりますね。
さらにモチベーションの中にも
「外発的モチベーション」と
「内発的モチベーション」があります。
「外発的モチベーション」はお金や地位のような、
外から与えられる見返りがその源泉となります。
一般的に「外発的モチベーション」はやる気を上げにくく、
下げ易いと言われていますね。
たとえば、給料を上げると言われても、
まあこんなものか、となりがちですが、
給料を下げるといわれるとやる気は大きく下がりますよね。。
それに反して「内発的モチベーション」は
そういった見返りではなく、内部から湧き上がるもの、
例えば仕事そのものが
モチベーションになるようなケースですね。
カーナ:外発的モチベーションの中には
「認められる」とか「称賛」といったものも含まれるのでしょうか。
とうりょう:「称賛」は微妙なのですよね。
「称賛」の結果、地位が上がる、勲章を授与される、
などのように外に見えるものがあれば
それは「外発的モチベーション」になりますね。
そうではなくて、
自分の行動や存在が認められ称賛された結果、
内面の自己肯定感が上がるようなケース、
これは「内発的モチベーション」と言えますね。
カーナ:今のお話をきくと、
「内発的モチベーション」を上げるためにも、
「テンション」を上げることも考えるのがよいのでしょうか。
とうりょう:確かに、一般的にそういうことはよくやりますね。
例えば朝礼などで、まず一人一人が自分の思いを語り(内発)、
最後にみんなで掛け声をかけて気合を入れたり(外発)、
スポーツの試合で円陣を組んで
「おー!」とやるのもそうですよね。
「テンション」は目に見えやすく、
そして一気にエネルギーを高めることができるのです。
カーナ:そうやっていると「ひとりじゃないんだ」
と思えますね。
先ほどのWakaさんのケースだと、
オンラインで周りとの一体感を感じにくく、
自分ひとりで盛り上げなければいけない、
という気持ちになるのかもしれませんね。
Waka:確かにそうかもしれませんね。
その場で肩をたたきあったり、
みんなでわーっと手をあげたり、
という一体感はオンラインだと伝わりにくいのかもしれません。
先ほどのとうりょうのお話で、
「テンション」で盛り上げたあと、
どのように長期的な「モチベーション」に
つなげていけばいいのかな、と思います。
とうりょう:そうですよね。
私も人事担当者が集まる研修で
「社員のやる気にどのように火をつければいいか、
どうすれば活き活きと働くことができるか」
というテーマで皆さんと考える機会が多くあります。
ただ、もし人事担当者自身が内発的なやる気に火がつく、
という体験をしたことがない場合は、
具体策を考えにくい場合があります。
そもそもモチベーションとは、左脳的な話ではないからです。
それは「うまくやること」「うまく乗りきる」を教えてきた
現代の学校教育の影響もあるかもしれません。
命を燃えたぎらせるような経験をしたことがないのに、
「本気」と言われてもピンとこないのではと思います。
カーナ:きっと、もっと小さい子どもたちは
なんにでも本気なのだろうな、と感じます。
本気でおもちゃを独り占めしたいし、
ゲームに負けると大泣きしたりして。
その後だんだんに学校教育や社会経験を通じて
「うまくやる」ことを覚えていってしまい、
本気を忘れていってしまうのではないでしょうか。
とうりょう:その通りです。
ここでいう「本気」というのは、雑音がない、集中している、
もちろん見返り求めていない、ということでしょうね。
もちろん四半期報告もない(笑)。
そういう雑念なく何かに向かう、
ということは確かに必要なのでしょう。
Waka:会社だと、確かに四半期報告もありますし、
結果も気にしないわけにはいかないので、
なかなかそういう状況を作り出すのは難しいと思うのですが、
でもそれでも何かこれを成し遂げたい、
という思いで仕事に集中することもあるはずだ
と思うのですよね。
でもまだ今は自分自身がそうなっていない状態です。
とうりょう:元々「本気でやる」「必死でやる」状況を
大人が作り出すのは難しいですよね。
その状況は大きく2種類あると思うのですが、
一つは「軍隊」です。
必死でなければ死んでしまうわけですから、
当然必死ですよね。
そこに働きかけるのは「恐怖」です。
交感神経が刺激され、アドレナリンが分泌して
生き抜くことに集中します。
対極にあるのが「大いなる喜び・使命感」です。
この場合は副交感神経が刺激され、
ドーパミンやオキシトシンが分泌されている状態です。
見返りなどではなく心の底からの喜びや、
このために死んでもいいと思えるほどの使命感、
そういったものに突き動かされる状況ですね。
私は人間が必死になる状況とは、
この2つではないかと思っているのです。
皆さんはもう自分のことなんてどうでもいい、
というほどの喜びや使命感を感じた経験はありますか?
Waka:ある全社的なプロジェクトに事務局としてかかわった中で、
最初は皆それほど乗り気ではなかったのですが、
合宿を通じてお互いの考えぶつけあい、
議論していく中でどんどん盛り上がっていき、
最後の発表では、皆がこの会社をいいものにしたい
という思いであふれる場を経験したことがあります。
そして閉会した際にある役員が歩み寄ってきて
「本当にありがとう」
と握手をしてくれたことがあったのです。
その発表の時の皆さんの笑顔や輝き、
そして握手の手のぬくもりで、ああ、報われた、と
とても幸せな思いに包まれたことを思い出しました。
とうりょう:今のWakaさんの表情や声の波動から、
周りと一体になれた喜びや、自分自身だけの喜びではなく
意識が周りに広がっているのを感じました。
自分だけでなく周りを喜ばせられるか、
もっというと見えない周りのものまで喜ばせられるか、
というのが重要なポイントかもしれませんね。
カーナ:周りの人の幸せのために、というのは
なかなか普段意識できていないなあと感じました。
今思い出したのは、
出産する際に、おなかの赤ちゃんが酸欠状態になり、
助産師さんに「あなたがしっかり呼吸しないと
赤ちゃんに酸素がいかないのよ」と言われたことです。
普段意識していない呼吸を
あんなに一生懸命に誰かのためにした、
というのは忘れられない体験です。
とうりょう:それは正に利他そのものですね。
赤ちゃんのために呼吸をする、自分のため以上に必死で。
その時は自分はどうなってもいい、この命のために、
と必死になりますよね。
まさに「無我」「無分別」の世界です。
自分のための見返りは全く望んでいないのですよね。
まさに「本気」です。
マザーテレサが「死にゆく人の家」に手伝いにきた
ボランティアの人たちに烈火のごとく怒り、
出ていけといった話を聞いたことがあります。
ボランティアの人たちが病人の身体を拭くのに
なぜタオルをくださいというのか、
なぜ自分の服を引き裂いて拭かないのか、
水をあげるので水をくださいではなく、
なぜ自分で汲みに行こうとしないのか、と。
その人たちのあり方や本気度が透けて見えたのでしょうね。
カーナ:そういうお話を聞いていると、
自分の本気はまだまだ本気ではないのではないか、
と考えてしまいますね。
とうりょう:それでよいのです。これで自分は十分本気だ、
と思うのはそれこそ慢心になってしまいますね。
まだまだもっと本気になれるはず、
と思うことでまた一歩進むことができるのです。
そして、Facebook Liveのコメントでいただいた
「情熱は?」というご質問ですが、
これはまさに本気になるためのエネルギー源だと言えますね。
そしてやはり最後は「無我・無分別・利他」こそが
「本気」の源だと思うわけです。
カーナ:とうりょうの言われた、
「無我・無分別・利他」というものに
エネルギーを注ぐことができる時は、
未来を信じている時だと感じます。
希望や光を感じるからこそ、今にスイッチが入る、
そのように思えてきました。
とうりょう:本当にそうですね。
人間の意識は空間を広げ見えない誰かに
思いを馳せられるのと同時に、
時間も広げられるのです。目先ことだけをみていても
そこに明るさはありません。
単なる目先の目標は、本当の願いではないからです。
本願は自分で決めるしかなく、
他の誰のせいにすることもできないものです。
そこがとても重要なのです。
「志」という言葉の意味は
「自分一人ではできないから周りを巻き込んで達成していこう」
というものです。
つまり周囲や次世代に受け継がれていくものなのですね。
そこには自分ひとりの見返りなどありません。
人間の意識は空間も時間も無限に
広げることができるのです。
そう考えれば「私の本気はこれが最大。」などとは
とても思えませんよね。
人はどこまででも本気になることができます。
だからこそ未来の人の喜び、
地球の裏側のまだ見ぬ人々の幸せまでも
感じようとすることが大切なのではないでしょうか。
Waka:今日のいろいろ対話を通じて思い出した
自分の幸せな体験を、もっと長期的にもっと範囲を広げて
伝えていきたいと思うようになりました。
そうすると今やるべきことの意識も
全然別のものになっていくように感じます。
とうりょう:自分ひとりでなく仲間と一緒に、
そして時間もまだまだある、自分ひとりでやらなくていい、
そう思うと肩の力も抜けるし、
幸せを感じやすくなりますよね。
カーナ:ファシリテーション塾もこれまで期を重ねてきて、
そしてまた新しく入ってきてくれる人たちもいて、
これからその人たちとともに創り上げていく
と思うと気合が入りますね。
とうりょう:これからさらに仲間とともに期を超えて
本気で幸せな世界を広げていくと思うと
エネルギーが湧いてきますね。
これからますます楽しみですね。
Facebook Liveにはファシリテーション塾のOB/OGの皆さん、
今期受講生の皆さんが来て下さりました。
ここでも時間や空間を超えた皆さんとともに朝の対話の時間を
過ごせる幸せを感じることができました。
無我無分別の世界でまだまだ
自分の本気は広げることができると思うと、
無限の可能性を感じます。