「いいチームをつくろう」から始めない、チームビルディング
私たちはファシリテーションという技術を通じて組織の中の「居場所」創りについて様々なご提案をしています。
最近、ありがたいことに立て続けに「チームビルディング」に関するオファーをいただきました。
今日は業態も業界も異なるふたつのチーム創りのお手伝いを通じて感じたことをお話したいと思います。
ひとつ目のチームは営業を担っているリーダーの方々でした。
一人一人がどう主体的に動き、売るというシンプルな活動を通じていかに予算達成を叶えることができるか。
そこで事業目標となるミッションとパーパスを互いに納得し合い、自分事にするためのチームづくりがテーマになりました。
もうひとつは新しい事業を立ち上げたばかりのチームでした。
これから事業を進めるにあたり、一人一人がどんな切り口で臨むのか、好きなテーマを出し合い、どんな風にやっていきたいのかを好きに議論させてほしいというリクエストがありました。
話し合いたいテーマに賛同した者同士が少人数に分かれ、それぞれ討論しあう場を主体的に創っておられました。
どちらも20数名のメンバーで構成されたチームでしたが、前者はいわゆる、何のために? Why?を確認し合う、パーパスについての議論であり、もうひとつはミッションやパーパスの共有はすでに前提としてあり、ではどのように? How?の議論となりました。
私たちが最初にやったことは共通しています。
それぞれ、まず個人の価値観や互いの夢のかけらを共有し合い、披露しながらリスペクトしあう時間を設けることからスタートしたことです。
生身の人間が同じ時間を共有しそこに居合わせる以上、どんな思いでそこにいるかを共有することは非常に意味のあることだと考えているからです。
最初は「チームビルディング」という言葉に拒否反応を示していた方も少なからずいらっしゃいました。
それは当然だと思います。誰もがいいチーム創りをするために今の組織に属しているわけでなないからです。
実際、「いいチームをつくろう」と意気込んだチーム創りはあまりうまくいきません。
私自身も上司から命じられて参加した研修など「馴染んでたまるか」と思うタイプの社員でしたから。
とはいえ、組織の中で自分の居場所や役割を見つけることは誰もが言われなくてもしています。
私たちはこうした二面性を抱えながら、ひとつの場に帰属しているわけです。
改めてよりよいチームビルディングのための方法とは何でしょうか?
組織の存在価値を可視化したり、メンバーの意識を高めたり、もちろん状況に応じて様々な手順の組み合わせがあります。
しかし最も大切なことは空気感を創ることではないかと思っています。
自然と、しだいに、よいチームに仕上がっていく過程にはある共通した、独特の空気感があると常々感じているからです。
「場の研究所」の所長でもある清水博東大名誉教授の言葉を借りるなら、それは「与贈の循環」が生まれた場、といえるかもしれません。
清水先生は贈与と与贈は違う、と定義されます。若干、意訳ですが贈与とは名前が残る行為であり、与贈とは「場」で名前が消えるいのちの営みであると私は受け止めました。
与贈とは居場所を創ったいのちが自分に戻っていくこと。それこそが、与贈の循環というわけです。
自分という存在がたいせつにされており、かけがえのない役割があると感じられると誰しも、うれしいものです。
全体の中で自分を位置付ける中で、そう感じることができると、自ら自ずから、その場に「溶け込もう」とする自分を発見するのではないでしょうか。
いったん、溶け込んでしまうと、居心地がいいので「私」はどうでもよくなる。=名前が消える。
私をうれしい気持ちにさせてくれた場に対して、私も誰かを喜ばせたい。
そんな心の発動が起きる場とそうでない場では明らかに何かが違います。
いかなる組織も利益追求のために競争原理で動く集団である側面があることは否めません。
同時に、どんな組織も一人一人、個人の関係性の積み重ねで存在しています。
「私がやった」「俺が手掛けた」と一握りの名前が先立つ贈与だけの世界はどこか、多様性を欠き、息苦しさを感じさせるものです。
自分が所属する場に対し、見返りを考えずに居場所に与贈したいと思える人が多ければ多いほど、その組織はいのちの循環が生まれる。
一見きれいごととうけとめられるかもしれませんが、そうした「いのち」が通い合い、響き合う場こそ、新しい時代のチームビルディングに不可欠な要素であることを実感する毎日です。
代表取締役 中島崇学