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コラム

実感と共感のまにまに

     

「悟りとは氷の自分が水になること」

 

ぼんやりとテレビを見ていたら曹洞宗の尼僧、青山俊董さんがとても興味深いお話をされていました。

私たちはいつまでたってもとかく他人の氷が気になる。

他人の氷とぶつかっているうちは自分自身も氷なのだ。

そんな氷の自分が溶解し、水になれるのが仏様の思し召しである、と。

なるほどなあ、と妙に感心した覚えがあります。

 

 

ではガチガチにこわばった氷の状態をもたらすものは何でしょうか。

私なりに考えを巡らせてみると、後悔、恐れ、他人を操作したいという欲求、他人から認められたいという承認欲求、傷つきたくないと思う自己防衛欲……。

さまざまな欲があぶり出されてきます。

こうした欲が自分の心を知らず知らずのうちにガチガチの氷にしてしまうことに改めて気づかされます。

 

 

欲とは谷を欠いた状態であり、翻って老子が説く「上徳谷のごとし」と全く真逆であります。

人は山には住むことができません。

人里は常に渓谷にあります。

谷は水と同様、あらゆるいのちが生息する場です。

どんな命も置き去りにしない受容性をもつこの源はさまざまなチャンスが生きる場所、私たちが提唱するファシリテーションの型にも通じると感じるからです。

 

 

旧来のリーダーシップのあり方は根本的に「思い通りに他人を動かしたい」という欲に基づいています。

それが操作や従属を生んでいました。

複雑で変化する環境の中では第一線に立つメンバーたちがそれぞれ判断していかねばならず、緊張をもたらす氷のぶつかり合いよりも、あらゆるものを包み込み、和合へ導く水の柔軟性が求められます。

まさしく、どんな器にも自ら形状を変え、しなやかに合わせることのできる水の受容性と柔軟性です。

 

 

私は日ごろ、研修やセミナーで「理解し、納得し、自分事化する」ことの重要性についてよくお話させていただきますが、理解→納得→自分事化を緩やかに促す原動力として不可欠な要素は紛れもなく、実感や共感です。

 

 

硬直した緊張関係ではなく、リラックスして部下一人一人の心を解きほぐし、理論や説得ではなく、共に体験し、対話をすることで体感する機会を創ることのほうがはるかにしあわせな予感が高まります。

この予感は最初の一歩を踏み出す勇気につながる、たいせつな感覚なのです。

同じ時間、同じ場所に集う者同士の気持ちが入り乱れ、自分と他人との境界線が曖昧になり、異なる個性が和合し、循環していく。

 

共感も、共鳴も、共振も波形を描き、水面のまにまに伝わっていきますよね。

 

自分が実感できたから、言葉が熱を帯び、伝わる言葉になる。

ありありとイメージできるから、共有すべきヴィジョンが見えてくる。

我が事として腑に落ちるから、相手にも理解してもらえる。

 

 

私が思い描く、チームが目指す目標や目的の達成のヴィジョンは、決まって実感と共感の間(あわい)から生まれます。

実感と共感の隋に(まにまに)、ひとたび身をゆだねることができると、最初に掲げた目標をはるかに上回る、素晴らしい未来が思いがけずやってくることもしばしばです。

 

 

ありきたりの未来や想定を超えた素晴らしさを歓迎する気持ちや思い。

これこそがイノベーションを生む。

私はそう信じています。

Don’t think, feel.

 

代表取締役 中島崇学

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