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コラム

言葉の力

晩夏と晩秋がかわるがわる来ているかのような日々です。

前回の振り返りをしつつ、「愛」や「覚悟」といった言葉には、人の心に響く力を感じますね、という話になり、今回は言葉の持つ力について対話をしました。

 


 

カーナ:以前子どもの学校で歴史について学ぶ際に、まず「History」とは何か、という定義から始めていたことを思い出します。いろいろな国の人がいる環境だったので、まず定義をしないと対話できないよね、と先生がおっしゃって。

 

とうりょう:それぞれの人にとっての言葉を定義することで安心安全の場を確保しようとされていたのでしょうね。相手を守る意味で使った言葉が、ある人にとって攻撃的な意味になったりしてはいけませんから。

ソクラテスの言葉で、「人生の意味は言葉を吟味し、問いを発し、自ら思考することだ。」というものがあるそうです。言葉を一律に定義化されてしまうと、もうそこから吟味しないし、問いも発しないし、思考もしなくなりますよね。例えば「愛」という言葉を自分の中に取り入れて、「愛とはなんだろうか、自分は今、愛を持って生きているだろうか」と考え、問いを持ちながら思考する、言葉には本来そのような力があるのでしょうね。

 

Waka:これまでの対話のことも含めて思い出していたのですが、言葉を一律に定義するというよりも、そういう考え方もあるよね、と大きな概念として受け入れる、というのが日本的な感じだなあと思いました。

 

とうりょう:どちらもありだよねとして受け入れる、というのはある意味ジレンマでもあります。自分の行動を選択するにはAかBかを選びもう一方をあきらめないといけないこともあるわけですから。世界の共存共栄と、自分の行動の選択が常に同居しているのが人間なのです。どちらかに傾くこともあるでしょうね。

 

カーナ:先ほどの「History」の定義というのは、「History」とはこういうものである、という一律な定義ではなく、「History」というものは人によって違うものだよね、という定義だということをお伝えしておきたいと思います。いろいろな国の人、いろいろな宗教の人がいるからこそ、それぞれにとっての「History」とはみんな違うよね、というところから対話を始めるためのものだったと思っています。それが共存共栄のための対話の一歩になっていると感じます。

 

とうりょう:それぞれにとって定義が多様にある、ということから始めることもできるし、さきほどWakaさんが言ったようなその違いすらも明確にせずそのまま「いろいろあるよね」として受け止める、ということもあるのでしょうね。

 

縁楽:なんとなく、私の周りは違いを明確にせずそのままにしているケースが多いように思います。そして後になって、お互いの「定義」が食い違っていたことがわかる、ということが時々起こります。

 

とうりょう:そういう風に悪い方、というか現代社会のおいて、定義を曖昧なままにしておくとそういうこともありますね。特に仕事のように、行動をはっきり選択する必要がある場合には。そう思うと我々は、「いろいろあるよね」と受け止めていく世界と、1つに決めて行動していく世界、この両方を生きているのですよね。

 

カーナ:言葉をどうとらえるかによって、また変わってくることがあると感じています。例えば今まで「諦める」というのはよくないことだと思っていましたが、この「対話の縁側」の中でこれまで出てきた諦念としての「諦める」というとらえ方をすれば、また見方が変わってくるなあと。そう思うと、言葉の持つエネルギーを感じます。

 

とうりょう:風景や音も人によって受け止め方や味わい方が違ってきますよね。やはり「言葉を吟味し、問いを発し、思考して生きる」ことが大切なのでしょうね。

 

縁楽:確かにどこかで聞いてきた言葉を吟味せず借り物のまま使っても、相手には伝わらないものだと感じます。

 

とうりょう:今のように何がおこるかわからない時代こそ、自分で考え、吟味することが大切になりますね。これまで「コロナマニュアル」なんてないわけですから。

中西進先生の言葉ですが、日本人の心には3つ大切なことがあると。1つは調和、2つ目は象徴、3つ目は尊敬の心です。一七条憲法では、対話を大切にしています。第一条では「よく話し合い、結論に達したら(和)それを守りなさい」となっていますが、これは正に調和ですよね。その心がずっと引き継がれ、明治時代の五箇条の御誓文では、「広く会議を興し、万機公論に決すべし。」となっています。これもまさに対話ですよね。

 

Waka:十七条憲法も五箇条の御誓文も、歴史の授業で学んだはずですが、それが対話の重要性につながっているのは、思いもしませんでした。

 

縁楽:今になって昔を振り返ると、ただ暗記するだけの勉強で、言葉の意味を考えずとてももったいないことをしたと感じます。

 

とうりょう:自分の言葉を発するときに、今自分はどんな視点でこの言葉を話しているのだろう、と意識してみるといいかもしれませんね。ある時は創造主のような視点で、ある時は自分自身のエゴも出してよいのです。その言葉を吟味し出していくことが大切なのでしょうね。


今回は「対話」そのものについての対話となりました。私たちが古来から持っている対話を大切にする心で、吟味した言葉の力を意識し対話を続けることで、それぞれの人生もこの世界もより豊かなものになっていくように思います。

 

※この対話は2020年7月12日に行われたものです。

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