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コラム

「響き合う」とは

     

共創アカデミーでは、「響き合う場」を創っていきたいと考えています。「響き合う」とはどういうことなのでしょうか。ファシリテーション塾で学ぶ仲間3名と塾長(とうりょう)によるチーム「ひだまり」のメンバーで対話しました。

 


 

カーナ:今日のテーマは「響き合う」ですね。

私は、ミーティングの場で、一人の発言をきっかけに、何人もが「自分も同じような体験をした。」という発言が続いたことを思い出します。

人は同じような体験を通じてシンパシーを感じると響きやすいのではないかと思います。

 

 

とうりょう:全く同じ体験ではなくても、他者の体験から、湧き上がってくる感情がある、ということがありますね。

 

 

Waka:私は、「響き合う」のイメージから、音楽のシンフォニーを思い浮かべました。

一人一人の音があり、それが響き合った時に一つの大きな曲になるというイメージです。

また、以前の合宿で、壁の模造紙に、自由に理想の未来を描き合ったことも思い出します。

誰かの描いたものから、自分の想いが沸き起こり、一人ひとりの描いたものの世界観がさらに広がっていく、という体験でした。

これも響き合っていたのだろうなあと思います。

 

 

とうりょう:なるほど、連作で共に大きなものを創り上げていくのも確かに響き合いですね。

私の近所にも、障がい者の方々と、絵を描くプロたちの合作の壁画があるのですが、それをみていると、それぞれが自由にのびのびと想いを表現していて、一緒に楽しんで創り上げている感覚が伝わってきます。

 

 

カーナ:楽器のグループレッスンでの体験も思い出しました。

初心者の自分が好きな音を奏で、それにほかのメンバーが思い思いに音を重ねていって、一つの曲になっていったのです。

誰かの音を聞いて受け取り、それに自分の音を重ねていくことで、共に創っている感動がありました。

こうした体験を、言葉でもできたらよいなと感じます。

 

 

とうりょう:楽譜も何もないところから音を重ねていく喜びは感動的ですね。

自分がそこに参加している、ということが大切なのですよね。

私も、かつて職場で響き合う体験をした時のことを思い出しています。

それは年度予算キックオフの場で、1000人ほど集まっていました。

みんなで年度末ありたいゴールを思い浮かべ、そこに向かっての決意を各自が一斉に自分の言葉で発した時に、壁がピリピリと震えるような響き合いを感じたのです。

なぜその体験が「響き合う」ものだったのかと考えてみると、一つには明るいゴールに向かい、皆がポジティブに同じ方向を向いていたこと、もう一つはそれぞれの言葉に一人一人の思いや感情が乗っていたからだと思うのです。

 

 

カーナ:確かに、頭だけで考えた言葉では響きませんよね。

 

 

とうりょう:そうなんです。自分の内側から湧いてくる声に自分の中で響き、それに他の人の声も響き、そしてそれが全体となって響いていくのですね。

そして、その場を創ってきた、自分と仲間のこれまでの思いや努力、積み重ねに思いを巡らせた時に、その響く音の厚みがさらに増していったのだと思います。

 

 

縁楽:私は自分が主催している市民講座のことを思い出していました。

3年前から始めた講座の参加者が徐々に増え、全員サークルになって座った時のことです。

大きくなったサークルを見ながら、ここまできたなあ、という思いでいると、開始当初から参加されている数名の参加者の方と目が合い、うんうんとうなずき合いながら、同じ思いを共有した気がしました。

あの瞬間、まさに響き合っていたのだなあと感じます。

 

 

とうりょう:音もなく、正に響き合いがクローズアップされた瞬間ですね。

同じ場を見ながら、自分の心の中の鐘が鳴り響くような体験だったことでしょう。

 

 

カーナ:「響き合う」ということを考えた時に、自分の出した音、思いに響いてくれる人がいると、その人の響きがまた周りの人に伝わり、次第に大きな響き合いになっていくのだと思いました。

受け取って響いてくれる人がたくさんいる場は、例えて言うと、音響設備の整った演奏室のようなものだと感じます。

 

 

とうりょう:確かに響き合いは相手がいてこその世界ですね。

その相手とどう向き合って生きていくのか、共に生きていこうとするのか…、あるいは私は私、あなたはあなた、と思って生きていこうとするのか、でずいぶん響きが変わってくることでしょう。

 

我々は、ストレスの多い社会の中で、どうしてもネガティブになったり、人の悪口を言い合う場面に出会いますね。

「波長同通」という言葉がありますが、このようなネガティブな感情に人は引き込まれやすいのです。

でもこの「波長同通」は「響き合う」という世界ではありませんね。

とは言え、そのネガティブな感情から自分の身を守るために、無理やりポジティブでいなければならない、というのも違うと感じます。ではどうすればよいのでしょうか。

 

私はそれは「無分別智」の世界であると思います。

ネガティブな状況にある人も含めて一人一人の思いが大切にされ、世界は一つのいのちであるという世界です。

そういう生き方をすることで周りにも影響し、響き合う世界が創り出せるといいなあと思います。

単にテンションが高く盛り上がっている場ではなく、本当に深いところのモチベーションが上がりつながっている世界を大切にしていきたいです。

 

 

縁楽:そういえば、社内の会議で互いに譲らず大きな声で主張し合う場面がありました。

その後冷静になって、声を落としたところ、互いの主張の意図を理解し合うことができ、一気に話がまとまったという経験がありました。

声高な自己主張は、響き合いとは違うことなのだと思います。

 

 

とうりょう:確かに心を鎮めるということは大切ですね。

自分の身を守ろうとすると反論したくなりますが、静かな心になると相手を尊重しよう、という気持ちになりますね。

インディアンのオロコイ五部族の対話の方法で、違う意見を自分はこう受け止めた、と相手に伝える、ということがあります。

たとえ違う意見であっても相手の尊厳を尊重することになりますね。

この「尊厳の尊重」ということは、我々の創り出したい「響き合う場」にもつながってくるのでしょうね。

 

 

Waka:尊厳を尊重されている一人ひとりが、それぞれの音色を出していき、そしてその音たちで世界が創られていくと素晴らしいなあと改めて感じました。

また、思いを共にしている仲間との響き合いは、その音色の厚みを増すことにつながるのだと思います。

 

 

とうりょう:我々は共に過ごしていることを忘れがちですが、だからこそ心を鎮めて、共に過ごしてきた日々を見に行くということも大切ですね。

自分を振り返ってみても、自己主張している時は、主張そのものよりも自分の存在を認めてほしいという思いが強かったように思います。

今、世界中にそんな叫びがあふれているのではないでしょうか。

だからこそ、共に過ごしてきた時間、思いを見つめ、存在を求めあうことが大切なのですね。

 

日本人には古くから「結び」という考えがあって、これは「違うものを取り入れて新しいものを創りだしていく」感覚です。

この「結び」を大切にしていくことで世界は平和に向かっていくのではないでしょうか。

違うものから新しいものができていく…、これこそ「響き合う」ということなのでしょう。

 

「むすんでひらいて」という童謡を見ても、結んで違うものを取り入れ、新しいものができてひらき、手を打って感謝し、また結ぶ、という内容になっているのですね。

そして最後は「その手を上に」で天に返すのです。

さわやかな生き様ではありませんか。それを繰り返して、今この美しい地球ができているのですね。

 


 

「響き合う」ということは、お互いの尊厳を認め合い共に生きていくことから生まれるのですね。

自分の心からの声を響かせ、相手にも響いてもらう、相手の声を受け取り、自分も響く、そしてその響きが周りにも伝わっていく。

そんな世界を創りだす一歩は自分自身のあり方にあるのだと気づいた今日の対話でした。

 

皆さんは今、どんな音色を響かせていますか?周りからどんな音色を受け取っていますか?

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