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コラム

色褪せない幸せ

ある週末の朝。コロナウィルス禍による緊急事態宣言による外出自粛要請が続く中、チームひだまりのメンバーがオンラインで対話をしています。

 


 

とうりょう:最近どうですか。皆さんいろいろ話したいことがあるのではないでしょうか。この状況の中で感性が敏感になりますよね。

 

Waka:私はこの状況の中で、気持ちが沈み、恐れや悲しみを持つ人たちと出会っています。

一方私はファシリ塾の活動の中で、そんな中でも小さな幸せを感じたり発信したりしていて、心が沈んでいる人達に寄り添いたいと思いながらも、同じ経験をしていない私が何を言っても表面的に聞こえてしまうのではないかと思い、何も言えなくなってしまうことがあります。

この状況の受け止め方がそれぞれ違ってきているのだなあと感じます。

 

とうりょう:普段から同じ状況をどう見るかどう受け取るかは人によって違うわけですが、今のこの状況下で、それが普段以上にくっきりしてきたように思いますね。

 

カーナ:確かに、今までもそうだったことがより顕在化してきたように思います。

「明日は何が起こるかわからない」とか、今までもそうだったんだけれど、それを、今、みんながそう思い始めているのではないでしょうか。

Wakaさんの話を聞いていて思い出しましたが、確かに沈んでいる人の前で、何かポジティブなことをいうことに躊躇してしまうことがあります。本当は言葉をかけたいのですが。

 

とうりょう:今聞いていて、ふとお釈迦様のことを思い出しました。

世の中に喜びも苦しみもある中で、お釈迦様は「色褪せない幸せ」とは何かについて追求した人だと言われています。

「色褪せない幸せ」とは幸せを探しに行くことではなく、今ここでの生き方を決めていくことであり、それをすれば幸せは絶対に色褪せないのだと。

だとしたら今この現実の一瞬一瞬に向き合って生きることこそが幸せなのでしょう。

そして私たちは、その「ネガティブな状況の中でのポジティブなことの言いにくさ」を変えていけばいいのかもしれませんね。

あるお医者様が言っていたのは、気持ちをポジティブに保つためには、太陽の光を浴びることと、コミュニケーションだと。

 

Waka:コミュニケーションといえば、私は先日のオンラインでのファシリテーション塾のライブに出て、直接顔を合わせなくても、オンラインでこんなに人はつながれるんだと感動しました。

以前はチームミーティングにしてもやっぱり直接会って話すのが一番だ、という思いがありました。でも今は全然違うとらえ方になっています。

コロナが収まっても、必ずしも顔を合わせなくても人は十分につながれると思っています。

 

とうりょう:わずか1,2か月の間にすっかり変わりましたね。そしてもう元には戻らない。

オンラインで人はつながれるという発見は大きいですよね。

遠くの人ともオンラインの力を借りて、共感でき、つながることができる、でもつながるというのは人の意識なのです。その意識に自信を持っていけるといいですね。

そして私は「共感」には二つあると思っています。シンパシーとエンパシー。

シンパシーは自然に感じる共感、エンパシーは遠くの人や未来に思いを馳せるということです。

このシンパシーとエンパシーを行ったり来たりすることで、共感性は高まってくるのだと思います。まさに意識の柔軟性を高めているのかもしれません。

 

カーナ:目の前のことが大変だと意識がそこへ向かいがちだなあと感じています。

子育てを始めた時がそうでした。

目の前のことに精いっぱいで先のことを考えられなくて、これではいけないと思い、「たすき帖」というものを作りました。

20年後の子供と自分のことを考えるようにしてみたら全然違ってきたのです。

私たちは、20年後に思いを馳せる、ということができますし、また20年後から見た現在は全然違って見えたのです。

また、過去を振り返ることもできて、そうやって時空を超えた意識の使い方は元々人間が持っているもので、今回の状況を機に、多くの人がそのような意識の使い方ができるようになるんじゃないかと思います。

 

とうりょう:そうですね。元々持っていた素晴らしい意識の使い方が「色褪せない幸せ」を作るとするならば、その素晴らしい意識とはどういうものなのかということが私にとってもテーマになっています。

今は目の前のネガティブな状況に防衛本能が働いて落ち込んだり、自分を守ることに終始してしまい勝ちです。そんな中どうやって幸せに生きていくのか。

まず未来に思いを馳せるという未来思考、これはとても重要で、常に幸せな未来を想像することですね。我々は想念で未来を創る責任があるわけです。

と同時に、その未来を創るためには過去の反省が必要です。人間は成長の一番の根幹は反省思考なのです。このままではいけないと思うからこそ成長できるわけです。

3つ目は今この瞬間のすばらしさです。命はどれだけ豊かで、どれだけ愛に囲まれていて、いろいろな人のおかげで生きていられるのか。

それをしっかり見据えると4つ目の感謝思考につながります。

大事なことはこの4つだけなのです。それを見つけにくい状況の今だからこそみつけようとすると、かなり意識の筋力が鍛えられるのかもしれませんね。

 

カーナ:状況や物事のとらえ方に西洋的なものと東洋的なものがあるように思います。病気は悪なので薬で対処しようとするのか、病気はそこにあるものなのでそれにかからないように養生するなど。

 

Waka:確かに西洋、東洋という考え方で言うと、西洋は病気と対立する、東洋は病気とどう共存していくか、という考えのように感じます。

どちらがいい、悪いという話ではなくて、病気以外の悲しみも苦しみもあるけれど、それと共存しつつどう自分の幸せを感じていくのか、ということが大切だと思います。

 

とうりょう:そうですね。最終的に克服して生きていくには自力を高めることという時代になってきたということでしょうか。それがお釈迦様のいう「色褪せない幸せにつながるのかなあ」と感じます。

日本の文化は縄文、弥生、近代と流れがある中で、前の時代の文化を根こそぎ撲滅して次の文化になるという経験をしていないのです。

それが総合的に積み重なり、つながっているのが今の私たちなのですね。

「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」が定着している文化なのです。

自然の猛威に破壊され大きな苦しみや悲しみを感じつつも、その自然に癒され救われている、悲しみとすら共存しているという感覚ですね。

そういう感覚を今我々も取り戻せるとよいなあと思います。

 

カーナ:そう思うと日本の文化を通して、私たちは自然に対して怒りをぶつけても仕方ないというか、共存していくしかない、受け入れざるを得ない大きなものがある、という覚悟を得ているのかなあと感じます。

 

Waka:今のカーナの話を聞いて、自然には勝てないという、いい意味での諦め、諦念をもって生きてきているんだなあと思いました。それが物事を受け入れやすくするベースにあるように思います。

 

とうりょう:いい意味での諦め、独り勝ちしようと思わないという感覚が大切かもしれませんね。

いい意味での諦めとは何だろうと考えたとき、一つは執着をとること、二つめは利己から貢献へということ、全体に意識を向けるということですね。そして三つめは被害者から主体者へということですね。

被害者としての自分からは要求や批判が出てきますが、その自分をあきらめることで、大きな志に出会うことができるのです。

 

カーナ:諦めるのは良くないことだと子供のころから言われていたように思いますが、今のお話を聞いていて、諦めるということのとらえ方が変わってくるようようです。

 

とうりょう:明るい無常思想を感じますね。だから今この時代に、自分たちは何をあきらめるのだろうという問いが出てきますね。そして不安や恐れを持ちながら新たなことに挑戦していく、業を積み重ねて生きていく時代になりますね。

 

縁楽:今日のお話の中には、今後の対話の縁側でもっと聴いてみたい、対話してみたいと思うことがたくさん詰まっていたように思います。次回以降の「対話の縁側」がますます楽しみになってきました。

 


 

 

今回も対話の中で時空を超え、国境を越え、はるかかなたに思いを馳せる時間を持つことができました。それぞれの人生の中で「色褪せない幸せ」を感じながら、日々生きていければ、という思いを胸に、また次回の対話を楽しみにしていきたいと思います。

 

※この対話は2020年4月26日に行われたものです。

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