楽しむということ
ファシリテーション塾で学ぶ仲間3名と、塾長のとうりょうによるチーム「ひだまり」のメンバーで、日々の体験や気づきを語り合う朝の対話の時間「対話の縁側」です。今日は前日のファシリテーション塾での話題についてさらに深く対話してみたい、というところから始まりました。
Waka:今日は、先日のファシリテーション塾・基礎コースの中のとうりょうのお話の中であった、
「楽しむとは、1.満喫 2.成長 3.貢献である」
ということから、「楽しむ」ことについて、もう少し皆さんと対話をしてみたいなあと思っていました。
カーナ:「楽しむ」というと、funとか、enjoyというイメージが思い浮かびますが、そうではない深まりのある「楽しむ」についてもっと対話したいと私も思っていました。
とうりょう:今は大変な時代だ、激動の時代だと言われます。
私たちはこの激動の時代を選んで生まれてきたのですよね。
そのことを「この世は、宇宙が、自分の楽しむ舞台を作ってくれたのだ。」と信じるということが「信仰」、信じないということが「打算」ですね。
打算で生きていると、この世界は楽しくないことばかりですが、楽しむために生きてきたのだ、と信じると見えてくることがありますね。
それがご縁であり、心が喜ぶことを選択する、ということです。
私たちは表面的な快楽と、本当の極めつけの楽しさを分けて感じることができるのです。
縁楽:確かに、自分が心を込めて場づくりをしている時の楽しさは、例えばお酒を飲んだりする楽しさとはまた別の楽しさだと感じます。
とうりょう:そうですよね。私は人間には誰にでも役割があると思っています。そしてその役割を楽しむことが、人間の権利であり義務でもあると考えているのです。
その自分の役割を発見できる人と、「楽しいことなんて何もない」と言って発見できない人がいますね。
それを発見できるのは自分の目しかないですし、自分の目を磨くためには、信じるものを持つことしかないのです。
カーナ:大人になるとどうしても打算的に生きてしまうところもあると思いますが、小さい子どもたちは本当に純粋に楽しんで生きているなあと感じます。きっと子どもたちはこの世界は楽しいものだと信じているだろうし、自分はきっと成長できると信じているのだろうなと思います。
何度失敗しても転んでも、立とうとしたり、歩こうとしたりするのは、自分はできるようになると、潜在意識の中で思っているのだろうなと思うのです。そして、私たち自身もかつてはそのような子どもだったのですよね。
とうりょう:脳科学的にいうと、純粋な想いを形成する大脳辺縁系の上に、この世界を生き抜いていくための「勝って楽しい」と感じる大脳新皮質が、大人になると共にできていくのですよね。
大脳新皮質の打算だって生きていくために必要なので、容易にアクセスできますが、その下にある純粋な想いに触れるためには、そこまで意識して掘っていく必要があるわけです。その方法として、具体的には祈りであったり、信じること、瞑想であったりするのですね。
そういえば、般若心経の最後の部分は、日本語に訳されず、元のサンスクリット語の真言のままなのです。
あえて左脳的に理解させようとせず、純粋な想いの部分に直接働きかけているのかもしれません。その部分は受け取る人に委ねているということなのでしょう。感じ取って意味づけするのはあなたです、ということですね。
先ほどの脳の構造の話でいうと、大脳新皮質の先に感情・気持ちを司る大脳辺縁系があり、その先には使命や意思を司る間脳、そしてその先には無分別の世界があります。
そこは一蓮托生、世界の幸せが私の幸せ、という状態です。
人間臭く、小さなことに一喜一憂する自分もいながら、そんな自分も大きな宇宙の中の一人の登場人物として、この広い世界を楽しむ。
もしかすると自分の生死さえその世界では小さなことかもしれません。
無我の境地とも言いますね。
コロナ後の世界をどう自分の意思を持って自律して生きるか、それがこれから問われることになるでしょう。
自分でそうやって生きていく人は明るいですよね。
何があってもあきらめないし、何があってもニコニコしている。
そう言いながらも無邪気に悔しがったり楽しんだりもして、そんな自分自身をも楽しんで生きているのです。
カーナ:どの階層の自分の中にも、それぞれの楽しみがあるということですよね。今の時代、誰か他の人が楽しんでいることをうらやんだり咎めたりすることもありますが、みんな、それぞれの自分が楽しいと感じることを楽しめばいいのにと思います。
Waka:カーナにそう言ってもらうと、「温泉だ、わーい!」と楽しんでいる自分もいていいのだと思えてほっとします(笑)。
その一方で、そういうちっぽけな自分もこの宇宙の一員なのだという大きな視点を持っている自分もいるのだと思うと、その両方の自分を楽しむことができるのだなあと感じます。
とうりょう:そうですね。その両方の視点を持っていると、これからますます人生を楽しみ、どんな時代も明るく生きていくことができることでしょう。
自分の中にもいくつかの階層があり、それぞれの自分が楽しみを持っている。小さな存在の自分が大きな世界の一員であるという視点を持っていれば、どんな時代も楽しく生きていけそうです。つい小さなことに振り回されがちな日常の中で、ふと視座を変えてみると違ったものが見えてくるかもしれません。