争いを手放すこと
私たちは平和と幸せを願いながらも、日常には様々な場面で多くの争いやいさかいがあります。
人はなぜ争い、許せないのか。
ファシリテーション塾で学ぶ仲間3名と塾長(とうりょう)によるチーム「ひだまり」のメンバーで対話しました。
縁楽:人はみな幸せに暮らしたいと思いながらも、日々仕事や家庭など、日常の中で様々ないさかい、争いに遭遇していますよね。
今日はこの「争い」をテーマに対話していきましょう。
Waka:今ちょうど自分事としてこのテーマをとらえています。
会社での会議の中で、指摘は正しいのですがかなりグサッとくる言い方をされてしまい、
「なぜそんな言い方をするのだろう。」
という相手に対する怒りと、そんな言い方をされてしまう自分に対する情けなさと、二つの感情を抱いています。
ファシリ塾での学びもあり、「この出来事の自分にとっての意味はなんだろう。」と問いかけ、自分を保とうとするのですが、明らかになにかドロドロとした感情が残っていることを認めざるを得ません。
とうりょう:ドロドロしたもの、残りますようね。
「華は愛惜に散り、草は機嫌に生ふるのみなり」(道元禅師)
心はとても豊かな土で、その中で感情は草のように育っていく、と道元さんは言いました。
その中でも「憎しみ」という感情は育ちやすいものですよね~。
Waka:このドロドロした感情はなかったことにはせず、向き合う覚悟は持とうとしています。
カーナ:ネガティブな感情を見ないふりをしてしまうと、かえってその感情が騒ぎ出し、育ってしまいますもんね。
ネガティブな感情が育ちそうな時に、ため込まず、かつ、人にぶつけて新たな争いを生まないようにするには、一人になって叫んで出すのがよいと聞いたことがあります。
とうりょう:「一人で叫ぶ」というようにネガティブな、感情が育つ前に、毎回優しくその感情に向き合って、片づけるということは大切ですね。
Waka:「ネガティブな感情に優しく向き合う」方法としては、ほかにどんな方法があるのでしょうか。
怒っている時に「優しく」って難しいですよね。
とうりょう:ネガティブな感情を持っている時は、自分と相手を分断して考えているのですよね。
苦しい自分と、言い分のある相手との分断です。
そんな自分の小さな気持ちを呼吸とともに吐き出す、そしてそうした小さな苦しい自分から意識を離し、2人が分かれていないもっと大きな世界から見る…、そうできれば優しく向き合えることができるかもしれません。
縁楽:確かに怒っている時は、ぶつける相手をわざわざ探してぶつけているように感じます。
そしてより争いが増幅していっているように思います。
とうりょう:そうなのです。大きな話でいうと戦争もそうですよね。
お互いの正義をぶつけあっているのです。
自分が正しいか、相手が正しいかしかないと、自分と相手を分断して考えることが憎しみを増幅しているのです。
カーナ:自分と相手を分断して考えず、どちらも尊重する、と考えれば争いはなくなるのでしょうか。
そう思っていても、例えば傷つく言葉を投げつけられると、そのような気持ちが引いてしまいそうですが、それは自分で修行していくしかないのでしょうか。
とうりょう:ひとつ思い出すのは、インディアンのイロコイ語部族の対話の文化です。
対極にあるのがギリシャに端を発するディスカッション文化です。
どちらにも長短ありますが、イロコイ語部族の対話では、相手の話す言葉は創造主の言葉だと思って聴くのだそうです。
そして自分が話す言葉も、創造主の言葉と思って話す。
そうすることでエゴを手放し、全世界のことを思って対話するのです。
まさにこれが意識を広げる訓練となりますね。
Waka:先ほどの自分のケースで考えると、確かに自分と相手を分断して考え、どちらが正しい、正しくない、という見方になっていたなあと感じました。
あらためて、自分のドロドロした感情をなきものにはせずとも、もっと広い意識でその感情に向きあうことで手放せるように思いました。
とうりょう:意識を広げるということ、分けて考えない、まさに無分別・無尽蔵ということですね。
先ほどのイロコイ語部族の対話のように。
縁楽:無分別という意識を持ったとしても、例えば相手が反論をぶつけてきた時に、それをどうすればよいのでしょうか。
とうりょう:反論を無視するのでもなく、反発してぶつけ返すことでもなく、そこからどう平和を作るか、心理的安全性を創っていくか、ということでしょうね。
まさにファシリテーターとしての腕の見せ所でもあります。
「共感」は一つの大切な要素でしょう。
相手の言葉の奥にある思いに共感することが心理的安全性への一歩となります。
縁楽:これはトレーニングが必要そうですね。
カーナ:反論へのリフレームも一つの方法かもしれませんね。
とうりょう:根底の考え方はあなたも私も無分別に尊重するのだということ。
そしてそれが心の中に息づいているのか、ということですね。
その中でもまた生の感情は、草のように育ってくる、それを都度都度、呼吸とともに手放していく、その営みが人生ですね。
簡単なことではありません。
だからこそその決意を言葉にし、日々思い出して実践していこうとすることが大切なのです。
意識を広げる、共感する、それを日々の生活の中でどう意識し、実践していくか。
今日の対話を通じて多くのヒントをもらったように思います。
心豊かな人生を生きていくことは、自分だけのことを考えていては実現できないのだと、改めて思い至った時間でした。
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