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コラム

「Yes and」でつながる世界(2) 〜 それでも人生に「Yes and」と言う

     

前回のコラムでは、コミュニケーションにおける「Yes and」の重要性や習慣化するためのコツとともに、「さぁ〝Yes and〟を実践しましょう!とお話しました。

また拙書『いったん受けとめる習慣』の発行にあたり、ここ数ヶ月は「Yes and」をテーマにしたワークショップなどを開催しています。

けれど、「意識してもなかなか〝Yes and〟が身につかない」「相手の意見や気持ちを受けとめるのが辛い」という声も多く耳にします。

それではどうしたら良いのでしょうか?
今回はさらに深い部分での「Yes and」について、私の見解を述べてみたいと思います。

 

目次

・「Yes and」は億劫…と感じたあなたへ

・起こっていることを感じるだけでいい

・誰のためでもなく、自分のため…

・未来への新しい扉を開くために

 

 

 

「Yes and」は億劫…と感じたあなたへ

 

人は意見が違うものです。違う意見に「Yes and」をすることは、億劫だと感じるのは健全なことです。

 

「Yes and」は、自分自身の度量を広げたり、コミュニケーションの柔軟性を創り出すという変化に繋がります。だからそんなに生易しいものではありません。

しかも「Yes and」に慣れていないうちは、居心地が良くないかもしれません。

だから「できない」「しっくりこない」「違和感を覚える」のは、ヘルシーなことなのです。

 

ただし、「いったんやってみる」ことはできるでしょう。「やってみる」だけで良いのです。

それでもなかなか違和感がなくならない場合だってあるでしょう。内的変化は、そんなに簡単に訪れるものではありません。

そんなときは、そんな自分に思いっきり「Yes and」をしてあげましょう。

 

 

起こっていることを感じるだけでいい

 

「Dipping(自己一致)」という言葉をご存じでしょうか?

客観的に物事を観察する技術です。自分自身の心の動きや心のおしゃべりに気づき、認め、脇に置くということを意味しています。

 

物がある、風が吹いている…それと同じで自分自身に対しても、「それは違うよな」とか、「ちょっと変だな」と感じたら、その気持ちを、ただあるがままに受けとめます。その際、感情や価値判断を抜きにして、自然体で受けとめてください。

 

自分という人格をいったん離れ、客観的に自分を観察する。自分はいまどんな状況にあるのか。なにに対してどう感じているのか。それが自分にとって心地よいのか、否か。フラットに、つまり良い悪いと評価せずに、ただ自分自身を観察してみるのです。 それがスタートです。

 

これを私は「自分自身への『Yes and』」と呼んでいます。 自分をただ味わい、自分に対して「Yes and」と言ってみましょう。

自分への「Yes and」。これこそが「Yes and」の原点です。ぜひ試してみてください。

 

 

誰のためでもなく、自分のため…

 

それでも人生にイエスと言う

ナチスによる強制収容所の体験として全世界に衝撃を与えた『夜と霧』の著者であるV.E.フランクルの講演集のタイトルです。

 

精神科医のフランクルは第二次世界大戦下、ナチスによって強制収容所に送られ、妻をはじめ家族の多くを失いました。そんな筆舌に尽くしがたい状況にあった彼自身が自分の人生に「Yes」と言ったこの言葉を、私は驚きと希望で受けとめました。

 

辛いことも、悲しいことも、すべては紛れもなく自分のかけがえのない人生に起きたことです。

V.E.フランクルですら自分の人生に「Yes」と言った。ならば…。この認識が、私の次の日を生きるエネルギーです。

 

キリスト教では「神さまの造りたもうものはすべて喜びのために造られた」と言います。

 

また私の好きな言葉で親鸞聖人の

 

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり

 

という一節があります。(『歎異抄』『真宗聖典』640頁)

 

「阿弥陀如来が、長い時間(五劫)をかけて案じてくださった〝衆生を救いたい〟というご本願をよく考えてみると、ただひとえに私、親鸞ひとりを救おうとするための願いであった」

 

これには続きがあって「多くの罪業を持っている自分のことを〝助けたい〟と思われた阿弥陀如来の本願は、大変有り難いことだ…」親鸞聖人はそう語っています。

 

この世の存在に、不自然なものはなく、すべての物事は起こるべくして起こります。

 

 

だったら、「いま起こっていることはすべて、自分の幸せのために起こっているのだ」と、自分自身が大断定してしまうことこそ、「自分自身への『Yes and』」の根底にある思想です。

 

だから、どんなことが起こったとしても、挫けたり否定したりせず、すべてを受けとめる。「Yes and」で受けとめて欲しいと私は思っています。

 

 

未来への新しい扉を開くために

 

ここで例え話をしましょう。

 

あなたはいま、建物の1階にいます。2階には上がったことがないので、どんな状態なのか、そこからどんな景色が見えるのか、あなたには分かりません。「そこにはある」けれど、見たこともなければ、行ったこともありません。だからあなたは、そこがどんなところなのか知らないのです。

 

同じ建物の中にいても、1階から見る世界と、2階から見る世界はまるで違うでしょう。

 

「Yes and」は目的ではなく、手段です。そして単なるコミュニケーション技法でもありません。相手や自分の存在を認め、その意見を受けとめ、さらに新しい価値を付け加えていく。そんな「あり方」そのものです。

 

いままで1階しか知らなかった自分が「Yes and」を実践し、体得していくことで、2階という新しい世界へと導いてくれるでしょう。

 

「Yes and」の実践方法として、拙書『いったん受けとめる習慣』では以下のポイントをお伝えしてます。

 

①急がない、力まない

相手や自分との関係性の土台をじっくりと築くために、焦りは禁物。

 

②自然体を心がける

考えすぎるとわざとらしくなることも。あくまでも自分らしく自然体で。

 

③相手の立場に立つ

違いを受けとめる。相手に落ち度があるという視点を手放すこと。

 

④継続的な実践の重要性

常に「Yes and」を心に刻み、トライ&エラーで継続していく。

 

幸せは体感し、実践していくものだと私は思います。

そして人生の目的はひとつ「あなたが幸せになること」。幸せにならなければ意味はありません。

 

「Yes and」を通じてどんな未来への幸せな扉が開くのか。ワクワクすると思いませんか?

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