本文までスキップ

コラム

自分の『道』を生きる

     

ファシリテーション塾で学ぶ仲間と塾長のとうりょうで日々の体験や気づきを語り合う朝の対話の時間。今日はWakaのもやもやから話が始まりました。

 


 

Waka:ここ数年、私は本当にいろいろな方とご縁をいただき、感謝しています。

ただ、最近になって、多くのご縁をいただいた方たちの中で、以前はその人の言葉が本当に共感でき、何をおいても会いたい、話したい、と思っていた人が、最近はそうでもなくなっている方たちが何人かいることに気づいたのです。

その人たちを嫌いになったわけではなく、今でも大好きなのですが、以前ほど言葉が響かないというか、共感100%!という感じではなく・・・。

こんな風に感じる自分は傲慢なのではないか、と思ったりもします。

皆さんはこんな経験をされたことはありますか。またそれに対してどんな風に感じていらっしゃいますか?

 

縁楽:今のWakaさんの話を聞いて、確かに私もいろいろなコミュニティと関わりを持つ中で、新たなコミュニティとのつながりができたときに、無意識に既存のコミュニティとの優先順位付けをしていることがあります。

その時の自分にとって必要なものを優先するので、どうしても疎遠になってくるコミュニティはありますね。

 

とうりょう:体はひとつしかないですからね。

人間は変化していくし、成長していきますから、その時の自分にとって快感を感じるコミュニティもまた変わっていきますね。

だからと言って、自分が快感を感じるところばかりにいてよいのか、というとそれはまた別の話ではあるのですが。

自分の変化の象徴が周りに出ますから、またそれを見て、心地の良いところにとどまるのか、そこから一歩踏み出すのかを自分で決めていくことになるのでしょうね。

 

Waka:私の場合、みんなにいい顔をしようとするからなのでしょうか。

自分が変化したことで、それまでのご縁に対して以前ほど魅力を感じていないことが、例えば誘われてもあまり参加しない、返信が簡素なものになる、といった態度に出て相手に伝わることを恐れているように感じています。

これは自分が成長したからなのだ、と肯定しきれない自分がいるのです。

 

とうりょう:その罪悪感はWakaさんの繊細さでもあるわけですが、そういった自分にとって心地の良くない心の声に耳を傾けるということが大切なのだと思います。

自分が前に踏み出そうとしている時に、何か大切なものを置いていこうとしていないか、何を忘れていないか、よく耳を傾けたうえで、一歩を踏み出すのです。

人は何かをするときは、そのほかの何かをしていないことになるわけです。

そこで自分が何を選択するのか、ちゃんと自分で判断しているのか、そういったことを心の声に耳を傾けることで確認するのですね。

誘われた時にただ反応的に行く、というのではなく、行くにしても行かないにしても、自分がすっきりと判断して行動しているかどうか、そこが重要であるわけです。

 

カーナ:Wakaさんの話をきいていて、コロナ禍になって、例えばなんとなく会社に行ったり、なんとなく会議をしていたのが、本当に必要なのだろうか、と考えることが多くなっているのではないかと感じます。

また、瞑想の先生が、瞑想を続けることで自分の中の波動が変わってくるので、付き合う人も変わってくる、それは悪いことではないとおっしゃっていたことも思い出しました。

 

Waka:波動がかわるとキャッチするものが変わってくる、ということは確かにあるのかもしれませんね。

 

とうりょう:地球の引力でひきつけあう力を「波動」と呼んだり、東洋思想では「氣」と呼んだりしますね。

それは人間の考えよりも強い力を持っています。

我々は引力に逆らえるわけはないのですから。それを大切にすることですね。

全体から見た自分の役割はどう変化しているのか、自分の成長から見た役割はどう変化しているのか。

我々が一番信じなければならないのは、役割の変化であり、生かされているという実感、愛されているという実感なのです。

そうすると、ああ、こういう役割の変化をくれたのだなあ、このような成長のステージに運んでくれたのだなあと実感し、感謝することになりますね。

 

Waka:確かにそう考えると、今の自分の役割は変化していて、自分はその新しい役割のために自分の時間をそこに使うことを選択したのだ、と実感することができますね。

 

とうりょう:自分で選んだ、という実感が大切ですね。そして同時に選ばなかった人たちへの申し訳ないという気持ちや感謝の念も大切にする。人間にとって陰も陽もどちらも大切なのです。

 

カーナ:私もこれまでいろいろなコミュニティに関わってきて、その時々の状況によって自分がそこから離れることを選択したことがありました。

そのことで責任を手放すようで申し訳ないという思いもありましたし、そのコミュニティがどうなっていくのか、という不安もありました。

が、結果、私が離れてからそのコミュニティはさらに成長し、よりよくなったのです。やはり全体から見た時の役割の変化があったのだと感じています。

Waka:今のカーナのお話をきいて、カーナがそのコミュニティから離れるにあたって、大きな役割の変化があったのだなあ、と思いました。
最初にお話しした私自身のもやもやについても、今は多少の心地悪さや申し訳なさはあったとしても、これは自分の役割が変化しているのだ、自分で選択したことなのだと思えば、あとから振り返れば、その心地悪さにも意味があったのだと思えるようになりそうです。

 

とうりょう:そうですね。自分をとりまくあまねく愛を感じ、すべては自分の成長につながっていることを信じること、そして自分の選択した道に自信を持ち、揺ぎなく歩く、ということが大切なのでしょう。

 

 


 

今日の対話を始めた時に感じていたもやもやは、対話を通じて、このもやもやも含めて自分の選んだ道なのだ、と信じることで自分にとって意味のあるものになりました。

自分の選択した「道」を一歩一歩進んでいきたいと思います。

 

※この対話は2020年7月26日に行われたものです。

waka 記

CONTACT

お気軽にご相談ください

フォームからお問い合わせ