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コラム

自己選択と対話の時代へ

ファシリテーション塾で学ぶ仲間と、塾長のとうりょうで日々の体験や気づきを語り合う朝の対話の時間「対話の縁側」です。

 


 

Waka:2020年は、年初からとうりょうが「大転換の年になる」とおっしゃっていたのですが、まさかこういう形で「大転換」が起こるとは思ってもみませんでした。

 

とうりょう:そうですね。この「大転換」の1年を通じて皆さんおひとりおひとりの内面の変化はありましたか?自分に起きた変化は臨場感がありますよね。

 

Waka:私の場合は、そうですね、それまで思いもしなかった状況ではあったのですが、そんな状況の中でも、むしろ大切なものが明確になって、意外と私たちはちゃんと生きていけるものだなあ、という自信を得ることができた1年でした。

それから、友達に会う時間の貴重さを改めて知ることで、会う時間そのものや、自分のために時間をとって会いにきてくれる友達に感謝することが多くなりました。そして、この貴重な時間をしっかり味わいたい、という思いを持つようになりました。

 

とうりょう:まさに感謝、あるものへの感謝、ですね。何かを制約されることで、今あるものへの感謝をより感じるようになりますね。そしてその制約の中で生きるということは、なんらかのリスクを伴うわけですが、リスクを超えて勇気をもって生きていくのか、リスクを避けて生きていくのか、生き方を選択して生きていくことになりますね。

 

カーナ:振り返ってみると、それまで出かけることが当たりまえだった状況から、出かけることを選択するようになった年でした。何かを選択する際の自分の判断のもととなる、価値基準が研ぎ澄まされてきた、そんな1年だったように思います。今までは何かを選択する際に、如何に周りの情報や他人の声に流されていたか、に気づかされた1年でもありました。

 

とうりょう:本当に、判断基準が問われますよね。今までは流されていることに気づいていなかったし、行動を選択しているという自覚がありませんでした。選択して会社に行く、なんてこれまでありませんでしたよね。この「自分の選択」というのも、実は太陽や空気と同じく、宇宙の恵みの一つなのです。情報も主観を持って発信されている情報を自分で選択する時代になってきましたよね。

 

縁楽:今「選択」というキーワードを聞いていて、状況がどんどん変わっていく中で、自分は選択したのだろうか、実は選択させられていたのだろうか、と思い返していました。

 

とうりょう:生きていく上で、無意識に選択させられてることも、きっと多いですよね。そうなると選択以上に大切なことは「存在」ということになるのかもしれません。

この間、あるフォトブックに載っていた言葉で「確かに存在していた。」という言葉が印象に残っています。我々はつい「何を成しえたか」に意識が向きがちですが、実は「存在していた。」という事実がとても重要なのです。そこにしっかり意識を向けていくと、見えてくるものがあるかもしれませんね。

 

カーナ:この1年は、コロナ禍で多くの人が別離の悲しみを余儀なくされ、存在がなくなってから、「確かに存在していた。」という意識がより強くなるということを実感した年でもありました。

 

とうりょう:その実感は、「人の存在は、余韻の中にこそ、その実体がある」ということかもしれませんね。存在や愛というのは、まさに神秘ですよね。目には見えないけれど、確かにそこにある、敬意を払うしかないものなのです。そこに意識を向けるのがこれからの時代なのでしょうね。

 

Waka:今の対話を聞いていて、2020年は「余韻の中の存在感」がクローズアップされた年だったからこそ、今あること、できることへの感謝の思いがよりくっきりと浮き出てきたように感じます。

 

とうりょう:そう感じることのできる新しい自分を得る、そういう年なのかもしれませんね。これからの時代は、議題に沿って決まった答えに向かってディスカッションするよりも、心の中に浮かんだ発想をそのまま出し合う「対話」がますます重要になってくる気がします。

 

Waka:そうやって心に浮かんだ発想をそのまま出して対話していくことで、どんどん自分も変化していくそんな時代なのかな、と楽しみな気持ちになってきました。

 


 

目に見えない「存在している/いた」という事実に敬意を払う。自分の行動はすべて「自分の選択」に基づいているということに意識を向ける。そしてひととの対話を通じて自分自身が軽やかに変化していく。そんな時代が来ているのかもしれません。

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